この記事では魅力覚醒講座を主催する小田桐あさぎさんの経歴を、どこよりも詳しくまとめてみました。
小田桐あさぎさんは外見と内面にギャップがある人だなと思っていて、どこで小田桐あさぎさんを知ったかによってかなり印象が異なるのではないかと思います。
- InstagramやYouTubeで小田桐あさぎさんを知った
- 著書を読んで小田桐あさぎさんを知った
私はInstagramで知ったので、その後セミナーで話を聞いてみたときに「え!すごく良いこと言ってて意外!」と思いました。
逆に、本から知った人だと「え…こんなギラギラな人いるの…」と引いてしまったというのもよく聞きます。
私は小田桐あさぎさんの魅力覚醒講座を受けているアサギストになって2年以上経つのですが、あさぎさんは派手な見た目とは裏腹に、実はとても真面目で努力家で、社会貢献意欲が高い人だなと思っています。
小田桐あさぎとは何者か?
について、公式から出ている経歴だけではなく、著書に書かれていること、私が魅力覚醒講座や過去のセミナーで聞いたことも総合的にまとめてみました。
すずこちゃんです。
都内で夫と2歳息子と暮らしています。
魅力覚醒講座17期から連続受講しています。顔を出さずにビジネスを始めて副業年商1000万円超え、アサギスト神11としてあさぎさんご招待でハワイツアーへ行くなど、この2年で人生が変わりました。
この記事では小田桐あさぎさんの経歴などをまとめていますが、性格や印象などの人物像は以下の記事で書いています。
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小田桐あさぎの本名
小田桐あさぎという名前は本名です。
2016年までは旧姓の宮本あさぎという名前で活動していました。
先日あさぎさんはアメブロで離婚を発表しましたが、今後も引き続き小田桐あさぎの名前で活動するそうです。
小田桐あさぎの年収
最初に、たくさんの人が気になっているであろう小田桐あさぎさんの年収ですが、現在は年商14億円となっています。
これは主に魅力覚醒講座の売上です。
他にも魅力覚醒講座の卒業生サロン、各種イベントの売上、書籍の印税、YouYube広告収入などがあると思います。
小田桐あさぎさんの年収の推移ですが、あさぎさんを知って2年の私が把握している範囲では下記のようになっています。
20代:手取り月収14万円の貧乏OL
2014年頃まで:営業職で年収500万円ほど
2015〜2020年:ビジネスをスタートし年商3000〜5000万円
2021年:ドバイ移住後に売り上げが飛躍し、年商3億円
2022年:年商7億円
2023年:著書『女子とお金のリアル』大ヒットで、年商14億円
小田桐あさぎの生年月日
小田桐あさぎさんは1983年3月11日生まれで満41歳です。
今年の誕生日にはアメブロで動画メッセージが公開されました。
小田桐あさぎの学歴
小田桐あさぎさんは、北海道札幌市で生まれました。
幼少期はお母様が教育熱心だったそうで、学校の成績も良く、小学生から塾通いをしていたそう。
高校も進学校に進んだのですが、在学中にグレてしまい、地域の不良などと交流するいわゆる「DQNライフ」に足を踏み入れます。
小田桐あさぎの大学
そのため、小田桐あさぎさんは大学には進学していません。
魅力覚醒講座内でも「母親から40歳になった今でも『大学に行っておけば良かったのに』と言われる」と話しています。
小田桐あさぎの職歴
大学に進学しなかった小田桐あさぎさんは、その後20代で8社を転々としました。
主に事務職を経験しているようです。
最後に入社した会社では、外資系の空調設備を扱う営業職として活躍しました。
この会社で「初めて天職というものに出会った」と話しています。
それまでは自分が営業職に就くとは考えてもいませんでしたが、転職のコンサルタントに勧められて面接に行ったところ、社長に感銘を受けて入社したそうです。
この当時は仕事も楽しく、社長のことを尊敬しており、「将来はこの会社の社長になる」というのが目標だったそうです。
小田桐あさぎの起業前
ここまでに書いたように、小田桐あさぎさんがご自身について話をするとき、DQNでダメダメだった…という文脈で語られることが多いのですが、実はそうではない真面目なエピソードもたくさんあります。
あさぎさん自身、セミナーでもよくお話しされるのですが、このDQN時代に思うところがあったようで、ここから抜け出すために様々な努力をされてきたようです。
まず、あさぎさんはカナダ留学をしています。
このカナダ滞在中に、同じく女性起業家で大活躍されている鈴木実歩さんと出会ったそうです。
帰国後に鈴木実歩さんが起業してセミナーを開催したり、コンサルを始めたりといった情報をとブログで発信しているのを見て、連絡して話を聞いたのが起業に興味を持つきっかけになっているようです。
鈴木実歩さんとは今でもたまに対談ライブなどされていますが、起業初期はよく相談などもしていたそうです。
留学先で出会った2人がいまや女性起業家を代表する大活躍をしているというのがすごい!
また、あさぎさんはその後、夜間の専門学校に通って建築の資格を取得しています。
日中は仕事をして、夜は専門学校に通う生活を続けていたそうです。
上述の営業職に就く前までは、建築の会社で設計関係の仕事をしていました。
ですが、この設計の仕事については「全く向いていなかった」と話しており、合わないと苦痛に感じていたようです。
20代で留学して、専門学校に通って…って周りの友達がやってたら普通に尊敬ですよね!
そんなに真面目に努力してたのか!とあさぎさんの意外な側面でした。
小田桐あさぎの恋愛
小田桐あさぎさんは高校を卒業してから、1歳上だった当時のDQN彼氏と転がり込むように同棲を始めたそうです。
ですが、彼氏はすぐに仕事を辞めてきてヒモ男化。
あさぎさんは毎日塩だけを振ったパスタで過ごしたり、自分の下着を売りに行ったり(!)して切り詰めて生活していたそうなのですが、それでも貧乏から抜け出せず、栄養失調になったこともあったそうです。
心配したご両親が実家に連れ戻したことも。
そんなヒモ男な彼氏だったのですが、くっついたり離れたりで結局12年間も一緒にいたそうです。
小田桐あさぎの婚活
小田桐あさぎさんは、27歳の時に婚活を始めましたが、必死でやってみたものの全くモテずに撃沈しました。
また、この時は仕事もうまく行っておらず、
「もう私の人生は終わった」
と思いました。
どうせ何をやってもうまくいかないなら好きなことをしようと、仕事を辞めて家に引きこもり何ヶ月もネットゲームだけをしまくったり、お酒が好きだったのでホステスの仕事を始めたりしました。
すると驚いたことに、好きなことをやっているのに、以前よりも素敵な男性から声が掛かることが増えていきました。
またこの頃に営業の天職にも出会いました。
あさぎさんは進学校だったので周りの友達は大企業で働いている人が多く、自分は大学に行かずに貧乏な生活をしていたことに引け目を感じていたそうです。
人間関係もDQNではない、収入も営業職で500万円くらいになり、
「やっと私は普通の生活を手に入れた」
「同級生たちに追いつけた」
と思ったと話しています。
小田桐あさぎの結婚
28歳のときに改めて婚活をしようと思った小田桐あさぎさん。
当時は絶対に30歳までに結婚しなければならないと思っていたので、29歳になってもダメだったら結婚相談所に入ろうと決めてスタートしたそうです。
ですが、いまいち素敵な男性と出会えずにいました。
そこで、まずはどんな男性と結婚したいのかを明確にしよう!と理想の男性リストを作成しました。
80項目ほどの条件を書き連ねたのですが、その3ヶ月後になんと理想の条件ぴったりの男性と出会い、2週間で結婚を決めました。
小田桐あさぎの起業初期
29歳で結婚して、プライベートも仕事も順調だった小田桐あさぎさんですが、第一子の妊娠中にふと立ち止まりました。
「私って今そこそこ幸せだけど、このまま生きていたら、普通の人生だなぁ」
「これからは一生、普通のワーママとして子供優先で過ごすの…?」
「こんなそこそこの幸せ、そこそこの人生でいいのか?」
そう感じて、何かきっかけを掴むために、まずは自分の考えをブログで発信していくことにしました。
母、妻、社会人、女性、自分。全てを自分らしく両立したいという思いで、『戦略的ワーキングマザーへの道』というアメブロを始めました。
あさぎさんは起業初期から一貫して子供の虐待をなくしたい、少子化対策をしたいという想いがあります。
当時もまずパートナーシップについて書き始めたのですが、「良いパートナーシップのためにはいい出会いが大事だよね!」ということで恋愛論を書いていくようになりました。
小田桐あさぎの仕事
すると、この独自の恋愛・家庭・仕事論に注目が集まり、月間40万PVの人気ブログとなりました。
当時は毎日5時間くらいかけてブログを書いていたそうですが、楽しくやれていたそうです。
次第に、ブログに相談が来るようになり、それに対応しきれなくなったので、有料で婚活のコンサルを始めました。
これがあさぎさんの起業のスタートで、2025年のことでした。
起業当初は、お茶会を開いたり、セミナーを開いたり、動画販売を行ったりしていたそうです。
最初はセミナーをやるのにも3000円いただくのにも抵抗があり、サポートしてくれる方の5000円にすべきという意見に、「無理です!2000円でも多すぎる」と言い張り、最終的に3000円で落ち着いたというエピソードもあります。
小田桐あさぎの会社
小田桐あさぎさんのアメブロにはコンサル依頼が殺到するようになり、そのうちにコンサル生から「あさぎさんからもっと教わりたい!講座をやってほしい!」という要望が出てくるようになり、ついに自身で講座をスタートしました。
これが「魅力覚醒講座」です。
最初は2人の講座生でスタートしました。
2016年には株式会社アドラブルを設立しました。
また、このタイミングで活動名を旧姓の「宮本あさぎ」から「小田桐あさぎ」に変更しています。
小田桐あさぎの子育て
小田桐あさぎさんは実は育児についても詳しいです。
2人の娘さんの出産時は育児本のみならず論文を読むほど研究をしたとのことで、現在のあさぎさんの公式YouTubeも実は数年前までは「ゆる育児チャンネル」という名前でした。
現在は娘さん2人も大きくなってきており、住み込みのシッターさんもいるので、育児についてあさぎさんが話すことは減っています。
ですが、私が魅力覚醒講座に入った2022年頃は下の娘さんがまだ2歳だったため、講座の質問回答でもよく出産や育児について講座生の相談にのっていました。
私も何度も寝かしつけや赤ちゃんのお世話について相談させてもらいました!
小田桐あさぎの魅力ラボ
小田桐あさぎさんは2018年からは月額制オンラインサロンの「魅力ラボ」も運営していました。
ですが、この魅力ラボの運営についてはあさぎさんも思うようにいかないところがあったようで、約2年半続いた2020年9月に終了しました。
元々は、魅力覚醒講座が会場でのリアル開催だったのですが、コロナの流行により一時的に休止しており、その期間は魅力ラボがメインになっていました。
ここから、ですが、魅力ラボが解散したことで、あさぎさんの講座は魅力覚醒講座に一本化され、オンライン開催の体制が整ったため、魅力覚醒講座13期からはzoomでの開催となっています。
魅力ラボについては、
体系化された知識をみんなで講座で一通り学んだ後に卒業生サロンにしないとダメだと思った。
月額制サロンで学びの知識がバラバラのメンバーが集まっていると、説明がうまく伝わらなかったり、意思疎通がうまくいかない場面が多かった。
と話しています。
また、この時期にはあさぎさんは年商3000〜5000万円を起業当初から毎年稼いでおり、著書も2冊出版し、家族もいて幸せで、今まで目指していたことを全て叶えて燃え尽き症候群のようになっていたようです。
この頃はやりたかったことを全て叶えて、あとは「いつ死んでもいいや」といった感じで気力がわかず、うつ状態だったと話をされています。
小田桐あさぎのドバイ移住
コロナの流行を機に、日本の政治や教育に疑問があった小田桐あさぎさんは海外移住を決意します。
2021年4月、旦那さんと当時6歳と1歳の娘さん2人と家族3人でドバイに移住しました。
直感で移住を決めたものの怖い気持ちが強く、泣きながら準備をしたそうです。
そこから、5つ星ホテルに住み始め、住み込みのベビーシッター(ナニー)を雇い、家事育児を手放して好きなことだけする、服装はロゴが目立つハイブランドといった、今の「小田桐あさぎさん」のイメージのようなライフスタイルになっています。
ドバイは富裕層と労働者層がはっきりと分かれていて、ブランド物などそれなりの服装をしていないとまともな接客も受けられないそうです。
無料セミナーや魅力覚醒講座の中でもあさぎさんは「周り5人の平均が自分なので、周りの環境がとにかく大事!」という話をしているのですが、あさぎさんもドバイに移住してから周りの人間関係がガラッと変わったそうです。
ドバイで知り合う人々は富裕層が多く、当たり前のように年商が億を超えている、むしろ年商1億円だと少ないというくらいだそうです。
ここであさぎさんの周りの人々も年商億超えの経営者ばかりになり、起業初期から5年以上ずっと年商5000万円くらいまでだったあさぎさんは、ドバイ移住後、一気に年商3億→7億→14億と拡大しています。
魅力覚醒講座も日本にいた14期では約150人だったのが、現在20期では約2000人の講座生となっています。
小田桐あさぎの魅力覚醒講座は21期で終了
小田桐あさぎさんは8年間続いた魅力覚醒講座を次回の21期で終了することを発表しました。
今後何をしていくかはまだ決まっていないそうですが、あさぎさん自身が講座を開くことは今後は一切ないそうです。
魅力覚醒講座の卒業生サロンについては今後も残る予定です。
あさぎさんはこれからは新規の講座生よりも、サロンメンバーとの関わりに集中していきたいという話をされていました。
小田桐あさぎの本
現在4冊の著書を出版しており、ベストセラーになっています。
- 嫌なこと全部やめたらすごかった
- 「私、ちゃんとしなきゃ」から卒業する本
- 女子とお金のリアル
- 女子のコミュ力
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